観測者の日記

地球、宇宙エネルギーの観測者です

目覚めというスピリチュアル的な体験

今日は「スピリチュアル的体験」について書こうかな

かなり長めな記事になります。

 

スピリチュアル的な体験とは

人生の中で一回で良いんです。

 

スピリチュアルな体験は毎瞬できますから(笑)

 

ちょっとややこしいかもしれませんが

ここで言っているのは

スピリチュアル「的な」体験、の事です。

 

スピリチュアル的な体験ってのは

スピリチュアル用語で言うなら

目覚めでも、開花でもどの様に表現しても

良いのですがその事です。

 

 

前の記事でも触れてますが

すべての人間のエネルギーに差はありません。

 

1人1人に目覚めや、開花的な体験

今まで歩んできた人生が

それを境に違う人生になる

 

その様な体験をスピリチュアルに興味がある

人たちが切望するタイミングは

 

地球歴史の中で何度も繰り返されました。

 

そしてその様な切望が叶うのは

いつになるのか

 

気になっていると思います。

 

 

それを決めるのは、というか

それがいつになるか、は

 

自分自身が既に決めているんですよね。

そして体験の仕方は1人1人違うかもしれません。

 

なので、

その体験がいつどの様に起こったか

私の体験を書こうと思います

そういう体験の仕方があると知ることによって

 

自分自身の体験の訪れに気が付きやすくなるかもしれません。では書きますね。

 

 

まず私のタイプは

・幽霊とか見たことない

・宗教とか興味ない

・自分が宇宙から来た事は何となく知っている

大きく分けたらなんかこんな感じです。

 

最初は夢の内容が意味深なものが増えてきました

ただ夢の内容について「これは何かのメッセージ」だ

と思いましたが深く内容を考察はしませんでした。

「変わった夢みたな」程度で

面白がっていた(笑)その位です。

 

次に買い物とかで商品を買った時の「おまけ」に

共通点があって「またこれか、面白いな」と

これもまた特にこだわらず単に笑ってました

 

次は何だか自分の周囲の人間関係や

見えている景色が何だか今までと違うな

意味もなく楽しいしきれいだなと感じたり

人間関係や人間の感情が激しく感じて

「ちょっと離れようかな」と思ってました

 

更に次は人間関係から離れたから

時間あるしちょうど良いから自分をたらふく癒して

心地よく感じる事に焦点を当ててみよう

ってなりました

 

そうしているうちに

「ちょっと自分ってのは変わってるけど良いや」

「宇宙人かもしれないけどまあ良いや」

「宇宙人の時の仲間とも会いたいな」

とか何となく思っていて

 

「何が起きても良い!宇宙人が来ても良い!」

と深く感じるとか何か期待するとかでなく

「宇宙人に会おう。」と

自分に許可した夜

我が家に宇宙人が来ました(笑)

 

一応補足しますが

私はいわゆる霊感とかは全くありません

特別な能力があるから宇宙人が来た訳ではないのです。

 

しかし、宇宙人が来たから会ったから

自分が何か特別な経験した、目覚めたとか

そういうのではありません。

 

むしろ宇宙人は

私に私とは何かを知らせる授業を

毎晩行います。

宇宙人が来るようになって数日たった頃

 

私は夜我が家に来る宇宙人がいるなら

地球上に今を生きる宇宙人だっているだろうし

会ってみたいなと思い

人生で初、プライベートで

自分1人で他県に出ました

人生初であることに自分でも多少ひきました(笑)が

楽しみである事の方が大きく

道中を楽しんでました。

 

宇宙人であると名乗る他県の人に会ったから

その時に何やら不思議体験があったわけではなく

 

私としては人生で初めて自分の意志で他県に行き

そこで今は人間として生きている宇宙人と会った

という体験自体が意味があったのか

 

その日の夜。

もう寝ようかなと思った瞬間に

頭の中なのか耳もとか分からない程

大音量で「ピンポンパンポーン」っと

陽気なレトロな(笑)アラームが鳴り響き

「え?なんじゃそりゃ(笑)」と私がなっている中

通信放送みたいなメッセージが流れはじめました。

ついでにメッセージ後には私を表す名前を

告げて「ありがとう」との事。

 

気が付いたら朝になっていました。

 

ハッキリ言ってこの時点では

まだ目覚めという体験ではありません(笑)

 

ただの「おもろい体験」っていうだけです。

 

 

瞑想中に宇宙に行っても

宇宙人から何か言われたり、宇宙の神秘についてや

知識を知り得ても

そういう何かしらの体験したから即「目覚める」

ではなく

 

そういう知識や体験ってのは

あくまでも宇宙側からのアプローチで

そういうのを受けとったというだけなんです。

私の場合は

自分自身を多次元的に知ったという経験です。

 

ついついそういう体験は

体験の本質ではなくその物語の様な内容に

どっぷりはまってしまうんです。

 

例えば

自分が某星でこんなあんな物語を

経験していた。

この、こんなあんな物語ってのは

あらゆる物語や宇宙での記憶が含まれます。

 

その物語にどっぷりはまるというのは

映画をみて「きゃー」や「わー」とか言いながら

映画の画面を見つめている、という事です。

 

別にわーきゃーしても良いんです(笑)

 

多次元的に自分を知った、そこが大切なんです。

 

そこからなんです。

 

 

いくら人から「宇宙由来」であると言われても

実際に自分がそれを体験しなければ

納得しないでしょう?

だから体験したんです。多次元的な自分を。

 

 

さて、「目覚め」について続けます。

 

多次元的に自分を知った→自分の本質に近いものを知った

 

目覚めというのは自分を知った後

 

ここ地球でまるで大樹のように

 

根をはる事をした時に「目覚め」ます。

 

一度「目覚め」たら

もう「目覚め」る前に戻る事はないんです。

 

芽吹いた種はもとには戻らないんです。

 

 

さあ、根をはるとは何かについて書きます(笑)

これが人生で一回で良い

スピリチュアル的な体験です。

 

自分が宇宙人だと思う人私タイプの人は

 

宇宙から地球に来た自分を認め受け入れ

多次元的な自分を知り内容がどうであれ認め受け入れ

 

宇宙という場の中の

地球という大地にいる自分を自分で許可して

植物の種子が発芽するようにイメージしてください。

 

この地球という場の自分の外側に見える

すべての環境を変えようとするのではなく

そのまま受け入れるんですよ。

ジャッジしたりするのでなく

「ああ、そうか。そうだね。」と認めて

 

今度は自分に意識を向けるんです。

自分の中にある「種子」を眺めるんです。

 

この種子は別に自分の本質エネルギーでも

構いません(笑)

 

自分の中に種子があるというイメージが良いか

自分の中に本質エネルギーがあるというイメージが良いかの違いです。

 

どんどん自分を見て意識してください。

自分の好きなことや心地よく感じる事

それをやってみた時の感覚

心地よくいたら現実と見えているものは

どう感じたか

心地よくない時はどうか

体はどう感じているか

現実はどうか

仕事は、家族は、恋人はと

たくさんありますが

再度、自分はどう感じているか知ってください

 

 

そうして種子が発芽するんです。

 

種子が発芽した事は

感覚で分かります。

 

自分が自分の外側の様に見えているすべての

現実での出来事を自分で作っていた

 

自分のどの様な感情にも良い悪いではなく

それらは反応であると知っている

 

感情も言葉も自分もエネルギーであると

知っている

 

自分の直ぐ外側の現実空間は

触れるとすぐに変容しそうなエネルギーであり

自身がそれに触れる事により

現実空間として固定していた事を知っている

 

 

そういう事を知識としてと、体験として

どちらもした時には

発芽してます。

 

そして発芽したなら

根っこも伸びていきます

 

しっかり根をはっている事の確認は

自身の心地よさで確認できます

 

地中の根と地上に見える見た目はバランスが大事です。

 

地上に見える見た目は大木でも

地中の根が小さいとアンバランスです。

見た目というのはルックスではなくて

地球での在り方と表現しても良いですね

 

バランスがとれている時に

人生一回の「目覚め」が起きます

 

この目覚めは何か超人的なものではなく

当たり前の生活の中で当たり前の現象として起きます

 

どうして何かある日突然超人になるような

体験が目覚めではないかというと

 

地球での歴史の中でその様な目覚め方にした時

大多数は目覚めなかったからです。

 

超人みたいな目覚めた人に対して

崇めるような結果になり

自分と他人という認識が強くなってしまい

目覚めた人さえも目覚めた後の地球での体験を

短縮せざる得なかったのです。

 

今回はあくまでも

日常的な生活の中であくまでも自然な形の

目覚め体験プロジェクトになったのです。

 

現代はかなりの大多数が目覚める事を決めている

時代です。

目覚めまでの道筋に近いも遠いもありませんが

もし、近道なるものがあるのなら

 

それは自分を知る、体験するそれこそが近道であるかもしれませんね。