ひっそり生きてます
今日は私の地球での
個としての過ごし方を書こうかな~。
ここにいる宇宙由来の人たちに
そんな生き方もあるか~って何かしらのヒントになれば良いね。
まずは今の私の事からね。
私は日本の昭和時代に産まれたよ。
産まれる直前まではある程度やる気があったんだけど
産まれた途端にやる気は半減して
気が付いたらカプセルの中にいたんだ
(未熟児用のアレね)
どうにもあまり身体にエネルギーがあるタイプの
肉体じゃなくて、小学校までは病院入院したり
面倒くさい脳波の検査やらで
病院で飽きるほど飲んだポカリは
今でも嫌だな。
小学校からは土地を移動したら
体調を崩すし
旅行は面倒だと痛感。
学校では全く勉強せず
日々家→寄り道→学校→遊び→寄り道→家の
繰り返し。
この小学校という檻からあと何年したら
出られるんかなって毎日思ったよ。
まあ、小学校の六年間に比べたら
後の中学、高校は三年しばりだから
まだマシだったかな。
昭和から平成にかけて
今よりもっと常識ってのが
バリバリにあったから
そんな私はハッキリ言って
「異質」だったみたい(笑)
あの時代に異質である事は
今でいう異質=個性ではなく
異質、ただそれだけ。
当の本人はあまり気にしてなかったけど
両親は悩んだだろうね。
そんな異質な私でも
全く勉強しない子だったんだけど
社会人になったんだ。
今社会人何年目だろう、もう20年位たつね!
あの頃に比べたら
今はとても軽い時代だ。
ハッキリ言って
「何でも出来る気がする」と言っても
過言ではないね。
あの時代、あの頃を知る人たちには
共感して貰えるかな。
何でも出来そうな気がするからと言っても
何でもやるわけではないんだ。
何でもやる「遊び」をしても良いんだけど
その遊びに来た訳じゃないんだよ。
そういうのよりも
地球のすごい所を沢山みたいっぽいんだよね。
すごい所って言うのはね
冬なら吐く息が白くなること
風が当たったら冷たくて
「寒い~」って思う気持ちと
「あはは、寒いなあ~」という気持ちや
「いやいや、まだまだ大丈夫!」っていう気持ちが
発生する事。
何か多分地球での日常風景での事なんだけど
そういう事が凄いって
私は思うんだ。
私はさ、自分でみた限り
かなり小さい身長の宇宙人の姿してるんだよ。
見たことあるのは
いつも目を瞑ったら実際の自分の姿が
見えるんだよ。
かなり小さいと解る理由は
手のサイズがね
かなり小さいからね~。
多分このサイズ感の宇宙存在なんて
あまり地球では想像されてないと思うよ。
色んな星にいたことあるから
色んな姿の時があるけど
だいたい地球ではこの姿になっちゃうんだよな。
なんだろうね、この姿。
まるで地球で生きていくための
スーツを着ている感覚だよね。
もともと、大元の姿はね
単なるエネルギーの粒子というか
塊みたいなものだったんだ
あまりにも流行りのスピリチュアルで
言われている様な
宇宙存在ではなかったのが
自己を知りたくなったきっかけだよ。