観測者の日記

地球、宇宙エネルギーの観測者です

変わらないもの

昨夜は24時間、寝ずの仕事だったよ

おかげ様でまた1日が過ぎて

新しい朝が来るという感覚を体験できた

 

この今が積み上がって一定量になったら1日という時間の単位が「明日」に切り替わり。

そしてまたその「明日」が「今」移行する感覚は

地球での貴重な体験だね。

 

どこかの星では

1日という感覚はなくて

変わらない日々、変わらない地形で

そこに住む存在は大地をそのまんま利用して

住む建物、空間を作り出すんだ。

例えば100年単位でその星の暮らしを

見ても、変わるのはそこに住むものが

どこかに移動した時に

その建物が形を失うだけであり

その景色は全く変わらない

 

朝とか昼とかないんだ。

まるで永遠に暖かい日差し、自然(木や植物)が

広がるんだ。

 

建物は何だか丸い様な形でその土地の土を

そのまんま利用した様な文明。

 

その暮らしは穏やか

 

だけれども

地球での暮らしや文化を知る

地球人類からしたら

「刺激に欠ける」

 

そう感じるかもしれないね。

 

そこに私がいたことがあるから

それを見たのかも知れないし

 

もしかしたらただ単に

それをたまたま見たのかも知れない

 

 

それに関してはどちらでも良いんだ

 

 

ただそういう暮らしがあると知ったからこそ

 

ここ「地球」での生活が

いかに刺激的なものなのか

感じる事が出来るんだろうね

 

そしてこの

変わらない「穏やかさ」ってのは

地球でもどこかで見た事があるんだ。

 

それは見た目が同じとか

そういうのではない

何かエネルギー的な感覚なんだ。

 

 

ここまで書いてふと気が付いたよ。

 

その変わらない穏やかなエネルギーは

 

人間の本質エネルギーなんだ

 

私はね、いわゆる霊感とか

幽霊とか魂とかそういうのを見るような

性質ではなくて

 

それらのさらに奥エネルギーを見る事はあるんだ

 

だからこの見える感じる感覚が

地球で何と呼ばれているのかは知らない

 

 

人間の本質エネルギーってのが

私の所に来るときは

 

その人が肉体を脱いだ時

エネルギーとして私の所に来た時に

見たり感じたりするんだ

 

私は仕事が介護職な為に

人の死の瞬間が身近で

 

 

だからこそ、そういうエネルギーに

触れあう事があるのかもしれないね。

 

このエネルギーにはじめて触れたと

私が認識してるのは

 

まだ私が30代始め頃に

母が亡くなった時だったよ。

 

肉体を持っていた時と同じエネルギーなんだけど

何か違うんだ

 

例えるなら色鉛筆のピンクの色と

桜の花びらのピンク色の違いのように

 

水でいうなら

雨とスプレーの霧のように

 

違うんだ。

その違いを語るには

地球の人類の肉体とエネルギーの関係について

書かないといけないから

それはまた今度にするんだけど

 

 

ともあれ母のエネルギーから

その人間の本質エネルギーを教えてもらって

 

日々の介護という仕事の中で

母だけでなく

すべての人間の中にあることを確信したんだ。

 

どんな人生経験をしたとしても

本質エネルギーは変わらない

 

あなた今どんなに自分がちっぽけに感じて

自分をダメに思っても

それらは変わらないんだ。

 

その本質エネルギーってのは

どこから来ているんだろうね?

 

はじめから在るものなのかな?

 

ちょっと今日は

それらについて調べておきますよ